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「今まで出会った面白い人々を世の中に知ってもらいたい」 元SDN48・亜希子さんが実践するアイドルのセカンドキャリア

女優として10代から数多くの連ドラやCMで活躍しながらも、20歳でアイドルに異例の転身。SDN48のメンバーとして活動した経歴を持つ亜希子さん。SDN48解散後は会社員生活を経て、現在は女優にフリーライター、そしてスナックのチーママという二足ならぬ三足のワラジを履いた生活を送っているとか。彼女のこれまでと現在、そして厳しい芸能の世界でもがいたからこそ得られた「アイドルのセカンドキャリアの築き方」について、お話をうかがいました。

学校に通いながら、女優業に奮闘した怒涛の10代

――まずは芸能界に入った経緯を詳しく教えてください。

うちは四人姉妹で、双子の姉で女優をしている奈津子のほかに姉が2人いるんですけど、長女の友人にたまたま芸能事務所の知り合いがいて、「双子の女の子がいるから会ってみて」と紹介されたのが最初です。当時、芸能界なんて一切興味がなくて、本当に何も知らされず船橋のららぽーとで事務所の社長さんに会ったところ、面白がってくれて所属が決まったんです。よく自薦なのに「お姉ちゃんが勝手に応募して……」なんて作り話がありますが、本当にそうなんです(笑)。

――よく聞く話ですね。興味がなかったのに、芸能界に入った動機はなんだったんですか?

15歳で父を亡くして、家計支援のために働きたかったんです。事務所に入れば、母に負担をかけずに自分の学費や生活費くらいはまかなえると思って。もっとも、父が病に倒れてからも幸いなことに貧しい生活を送ったことはなくて、母も姉妹もみんな明るく、それぞれ自立した生活ができるように頑張っていたので、毎日楽しく過ごしていました。一般的には大学を卒業してから働き始める場合が多いですが、ほかの人より少し早く自立したという感じです。

――とはいえ、芸能事務所に所属してそんなにすぐお仕事が決まるものなのでしょうか?

当時の所属事務所は、連ドラの主役を張ったり、CM契約できる女優を育てるという方針で売り出してくれたりしていたので、同世代の女優たちの中ではわりとすぐ仕事が決まった方です。でも、その裏で、毎日放課後はテレビ局にあいさつまわりしたり、演技やダンス、歌のレッスンを受けたり、オーディションに参加したりして、遊ぶ時間は一切なかったです。ただ、当時はマインドがフルに女優業に向かっていたし、映画や連ドラに出演させてもらえるなんて、普通の女子高生にはできない経験だと思っていたので、それが当然というか「このミッションをやりきる」という覚悟で臨んでいましたね。

――とは言っても遊びたい盛りの10代でしょう? ストレスがなかったわけではないですよね?

それはそうです。特に毎日の体重測定は自分との戦いでした。ダイエットのために大好きなお菓子を我慢しなくちゃいけなかったんですよ。あとは周囲の大人との関係性も難しかったです。マネージャーさんなどから、現場や局での立ち振る舞い、今後の売り出し方などを指導されましたが、当時自分が思春期だったこともあり、必要以上に反発していました。「一流の女優に育てたい」という事務所側の気持ちは、今ならありがたいと思えるのですが……。そうそう、オーディションもつらかったです。高校2年生から、芸能活動をする同級生が多く通う日出高校に転校したんですが、学校では「誰が一番早く泣けるか選手権」とか「確定申告の仕方」の話題で盛り上がっているクラスメイトが、放課後にオーディション会場ではちあわせるとライバルになるんですよ。

――なるほど壮絶……。それにしても高校生のころから確定申告の話をするのはすごいですね。そんな女優生活に変化が訪れたのはいつでしょうか?

10代前半から芸能活動を始めた人たちを見ていると、だいたいみんな高校卒業のタイミングで進路に悩むんです。大学や専門学校に進学する子もいるし、芸能一本で行く子もいる。実際、どこの事務所でも18歳までは力を入れてくれますが、それまでに売れないとトーンダウンするケースが多い気がします。私も、その年齢までたくさんオーディションを受けさせてもらいましたが、なかなかチャンスを掴むことができませんでした。そこで私は、学校に行くのもお金がかかるし、毎日仕事は入らなくても学校に通わないことでかえって常にお仕事を受けるチャンスが増えると思って女優一本で行くことにしたんです。でも暇が増えたことで、だんだん疲れてしまって。

――自由な時間が増えたせいで、仕事がない時期などに余計なことを考えて病んじゃうってパターンですね。

そうかもしれないですね。19歳で最初の事務所を退所し、奨学金を借りて、短大に通い始めました。高校時代は芸能活動に明け暮れてあまり勉強してこなかったので、ちょっと芸能と距離を置いて学ぶ楽しさを知ろうと思ったんです。

女優のキャリアを忘れ、一からスタートしたアイドルとしての道

――芸能活動に疲れてから学ぶことに目覚めた、と。そこからSDN48加入へは?

19歳の終わり、NHKの『とめはねっ! 鈴里高校書道部』という連続ドラマに出演したあと、女優を続けるか、辞めるかを真剣に悩んでいました。そんな時に知り合いを通じて「20歳以上のアイドルユニットができるみたいだよ。双子で加入すれば面白いんじゃない?」と紹介されました。周囲からは「なんでアイドル? 普通は順序が逆じゃない?」って言われたんですけど、「とにかくやってみよう」という気持ちで始めてみたんです。

――アイドルに取材するとだいたい女優を目指しているって聞きますからね。みんなが女優を目指しているのに、その女優がアイドルにいわば降りてきたと。メンバーとのあつれきも起きそうです。

「降りる」という感覚は自分にはなくて、アイドルとして必死で頑張ろうと思っていました。ただ、最初に先輩から「今までの女優のキャリアは全部忘れてね」と釘を刺されました。SDN48は20歳以上の元会社員の子も入ってくるようなグループだったので、一緒のラインで一から頑張ろうっていうことだったんです。キャリアを積んでいるからといって偉いわけじゃないということを私が認識できるように、あえて厳しい言葉をかけてくれたんだと思います。

――もともと女優が本業だっただけに、SDN48でのアイドル活動は大変だったんじゃないですか?

ステージで歓声を浴びる華やかな仕事は3割程度で、そのほか多くの時間は過酷なダンスレッスンでした。メンバーの上下関係や競争もありますし、ファンの方々の数で数値化される「人気指数」に一喜一憂する日々で、メンタルが鍛えられました。日本武道館や西武ドーム、NHK紅白歌合戦のステージに立てた経験は、かけがえのない思い出です。でも私の場合は、生活費や奨学金返済をつい考えてしまって。1万人以上のお客さまの前で踊ったコンサートの翌日に、こっそりホテルのベッドメイクやトイレ掃除のバイトに入ったこともあるんですよ。バレないように変装していましたけど、バイト中にファンの方とすれ違ったこともありました(苦笑)。

これまでに出会った面白い人々を世の中に知ってもらいたい

――そして2012年、SDN48が解散しました。その後の自身のキャリアはどのように変化しましたか?

解散後、メンバーみんながそれぞれの道を歩み始めました。結婚した子もいるし、アナウンサーやソロアーティストになった仲間もいます。私もシフトチェンジしなくてはと思っていたところ、WEBメディアの『しらべぇ』がライターを募集していて、アイドル時代のエピソードについて書いた記事を寄稿したのをきっかけに、コラムニストとしての仕事をいただけるようになりました。そうこうするうち、しらべぇ編集部から「もし会社に入る気があるならうちで働いてみない?」と誘っていただいて、会社員になることにしたんです。

――会社員からフリーに独立した身としては、そのまま文化人枠のコラムニストとして活動した方が良い気もしますけど、なぜ会社員に?

よく考えたら私、社会人としての常識がないな、って思ったんです。仕事は10代からやっていますが、特殊な職業なので名刺も持ってないし、仕事を自分で取ってきたこともないし、きちんと敬語を使うこともできませんでした。

――亜希子さんは人生の岐路に立ったとき、「勉強しなおす」「社会人としての経験を積む」と、基本に立ち返る傾向がありますね。女優やアイドルという実態のない人気商売に身を投じてきたからこそ、人が生きる上で必要な常識や教養、経験に惹かれるのかもしれません。

いま、ようやく誰かと競争することなく、人生の棚卸しをしていますね。実際ビジネスマナーでかなり苦労したんですけど、会社員としてWEBメディアの記事制作に携わって、たくさんの経験を積むことができました。女優・アイドル時代に出会ったユニークな人々を、今度はメディア側の人間として、世の中の人たちに発信していきたいと思ったんです。

 

そんな中で、元アイドルのセカンドキャリアを追うようになりました。元SDN48でタクシー運転手に挑戦したメンバーや、元AKB研究生でバーテンダーをしている小栗絵里加さんのインタビュー記事などを書いて大きな反響があったんです。自分が現役時代に大変だったからこそ、きっと他の元アイドルの女性たちも悩んで、真剣に新しい道に進んでいるのではないかと思って。

――一般の人にはわからないような、元アイドルだからこその苦労は多そうです。

実際、女優やアイドルといった特殊な経験をしているからこそ強く感じるのですが、異業種に転職するたび周囲からの期待は大きく、実力以上の技術を求められる場面も多いんです。正直、私自身もいくら頑張っても結果が出なくて、ものすごく落ち込む時もあります。真っ白な状態からキャリアを積むことの難しさを痛感しますね。でも、一つの職業にこだわることなく、さまざまな経験をしてきたからこそ得られたものはたくさんあります。アイドル時代は毎日SNSを更新していて文章を書く習慣が身についていたので、結果的にライター業にも生かされていますし。どんな職業もやってみないとわからないし、無駄なことは一つもないと感じています。

――そして、3年間勤め上げたしらべぇ編集部から独立し、フリーライターになった亜希子さん。現在はライターにくわえ、女優・タレントとしても継続して活動。さらに近ごろは週一で五反田の「コワーキングスナック CONTENTZ分室」のチーママも始めたそうですね。

チーママになったのは、スナックのオーナーに声をかけてもらったのが理由です。これまでの人生で、女優やアイドルとして、どこか自分を偽ってきたところがありました。来年30歳を迎えるにあたって、誰かと話をして、自分自身の本音をぶつけられる場が欲しかったんです。もちろん、ライターとしてインタビューの訓練にもなるし、記事のネタが見つかるかもという気持ちもあります。

――なるほど。自分を解放しつつ、ビジネスに繋げる場として、スナックを選んだのですね。では最後に亜希子さんの将来的な夢は? 例えば将来自分のお店を持ちたいとか、まだまだ女優をあきらめてないとか、ライター一本で食べていくとか。

そうですねえ。個人的には一社で定年まで働いたり、ひとつの仕事だけで食べていったりするのは向いていないと思っています。いずれ自分でスナックや飲食店を経営しつつ、女優やタレントのオファーをいただければ受けて、ライターとしては「私にしか書けない記事」を書いていき、ガンガン営業しながら続ける、みたいな働き方が理想ですね。その活動の中でライフワークとして、元アイドルのセカンドキャリアを追い続けていきたいと思います!

(取材・文:熊山准 編集:阿部綾奈/ノオト)

  • 大木亜希子さん

    取材協力:大木亜希子さん

    東京都在住フリーライター/タレント。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で女優デビュー。数々のドラマ・映画に出演後、2010年、秋元康氏プロデュースSDN48として活動開始。その後、タレント活動と平行しライター業を開始。Webの取材記事をメインに活動し、2015年、株式会社NEWSY(しらべぇ編集部)に入社。PR記事作成(企画〜編集)を担当する。2018年、フリーライターとして独立。

  • ライター:熊山准

    ライター、アーティスト。リクルート『カーセンサー』編集部を経て創刊当時の『R25』にてライターデビュー。執筆分野は旅行、ガジェット、恋愛、現代アート、登山などなど。自身のアバターぬいぐるみを用いたアート活動も行なっている。www.kumayama.com

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