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一つの仕事を続けるも複業をするも「自分は自分、焦らない」—88歳バーテンダーの仕事論

半世紀以上もの間、同じ場所、同じ看板、同じ内装で、ずっと変わらずにお客さまを迎えてくれるBar—、それが飯塚徳治さんが営む「カクテルの店 バッカス」です。複業や転職をしなくても、一つの仕事を続けることにも自分らしい働き方を見つけるヒントがあるのでは? 飯塚さんが58年間もお店を守り続けてこられた秘訣を聞いてみました。

今でいう“セミナー”に通ったのがお店を始めるきっかけ。それまでは普通の会社員

――飯塚さんが「カクテルの店 バッカス」をオープンしたのは58年も前のことだそうですね。

昭和35年、西暦でいうと1960年の5月です。それまでは自動車修理工場の事務員をしておりました。7〜8年勤めていたんですが、通うのに疲れてしまいましてね。私が住んでいたのは世田谷区で、職場は墨田区の外れにありました。今と違って非常に交通の便が悪かったんです。

――自宅から近い職場への転職は考えなかったのですか?

簡単に次の仕事が見つかる時代ではありませんでした。もし、就職先が見つかっていれば会社員をしていたかもしれません。

――それが、どのような経緯でBarのオーナーという道に進まれたのでしょう。

現在六本木ヒルズが建っている場所に、当時はニッカの麻布工場がありまして、そこで開催されていた講習会に通い始めたのがきっかけです。種類や作り方など、お酒に関する知識を学べる場所で、約1年間通って勉強しました。

――お酒が好きだったとか、お店を持ちたいという思いから、講習会に通い始めたのですか?

いえいえ、もともとお酒に興味があったわけでも、お酒が強いほうでもありません。Barを始めようと思って講習を受けたわけでもなかったんです。でも講習会に通っているうちに、これも一つの仕事かなと思い始めました。

その頃、トリスバー(注)やニッカバーなどの大衆Barが雨後の筍のようにあちこちにできていたこともあって、真似をして私もやってみようと。何かしないと生活できませんからね、最初はそんな感じでした。

(注)トリスウイスキーをソーダで割ったハイボールが人気の庶民的なBar

――未経験からのお店経営は大変だったのでは? 

何もないゼロからのスタートでしたから、やはり大変でしたね。この辺(東急世田谷線松陰神社前駅)は住宅街でしょう。特に昔はこういう商売は都心が中心でしたから、派手な商売にはなりません。私も本当は三軒茶屋や渋谷にお店を出したかったんですけどね、お金がなくて仕方なく(笑)。

それに、今でこそこんなにたくさんのお酒が並んでいますけど、オープン当時は少しの国産酒しかありませんでした。昭和40年代に入って、ジンやバーボン、ウイスキーなど、外国のお酒の輸入が自由化されたおかげで、お酒も手に入りやすくなり、ずいぶん種類が増えました。

――それでも移転することなく、50年以上ここで続けていらっしゃるんですね。

はい。看板もお店の内装も当初のまんまです。変わったのはお酒の種類が増えたことくらい。60年近くもお店を開いていれば、そりゃいろいろなことがありますよ。昭和40年代前半の頃は、当時の首相が掲げた「所得倍増計画」のおかげでグンと景気が良くなった。そうかと思えば、後半にはオイルショックで景気がガクンと下がって。世の中の情勢と比例して、経営状況は上がったり、下がったりの繰り返しでした。

人が変われば店の雰囲気も変わる。この店の雰囲気は長い時間をかけて作り上げたもの

――半世紀以上の時代の流れの中で、お店に来るお客さまも変わってきましたか?

さすがに私より年上のお客さまはいなくなりましたね(笑)。でも、客層はいつの時代も幅広いですよ。長年通ってくださる方も多いですけど、ご来店には波があります。何かあった時に「あそこに寄ってゆっくりして帰ろう」と、ふと思い出して立ち寄ってくださいます。とてもうれしいことですし、Barとはそういうものじゃないですかね。うちの店は「ゆっくりとお酒を飲んでいただける」こと以外に取り柄はありません。

最近は一人でいらっしゃる女性のお客さまが増えています。昔はBarといえば「男の隠れ家」だったんですけどね。

――女性も一人で飲みたい時があるんです(笑)。女性の社会進出もそうですし、この50年の間に働き方もずいぶん変わってきました。

「今は会社員だけど、いずれこういうBarをやりたいので働かせてほしい」と訪ねてくる若い方もいますが、私にはそんな技量はございません。接客はその人の個性であり、この店の雰囲気は長い時間をかけて私が作ったものです。人が変われば店の雰囲気も変わります。だから、こういう雰囲気のお店がやりたいといわれても、同じものはできません。隠すことはないのでお酒について教えて差し上げることはありますけどね。

――飯塚さんは、副業や複業を推進する流れについて、どのように感じていますか?

みなさん、副業・複業として、やりたいことが自由にできるようになったとおっしゃいますが、私が思うにそうせざるを得ない世の中なんだと思いますよ。就業率は上がったというけれど、正社員ではなく契約社員などが増えているだけでしょう。雇用が安定しなかったら、不安で仕方がない。そんな不安な気持ちや焦る気持ちが転職や副業・複業につながっているのかな、とは思います。

ただ、お店もそうですけど、やりたいからといってすぐにできるものではありません。相当な我慢が必要です。副業・複業を目指すのなら身の丈に合ったレベルから始めることが大切だと私は思いますよ。

人間は鏡、フリでも自分がまずは笑顔でいることで相手も楽しい気持ちになってくれる

――我慢や身の丈という言葉が出ましたが、58年もの長い間、お店を続けてこられた最大の秘訣は何だと思いますか。

何もありませんよ(笑)。この仕事しかなかったから、我慢して続けてきただけです。ほかに能力があったら私だって転職していたかもしれません。ただ、私は終身雇用が当たり前の時代をずっと生きてきましたからね。始めた仕事は最後まで続けるというのが、私たち世代の一般的な考えだと思いますよ。

――長年続けてこられた理由の一つは、時代的な考えの違いもあると。

時代もそうだし、もちろんその人その人の考え方の違いもあります。ひたすら我慢して生き延びるか、もっといい仕事があると転職するか。私は我慢して続けるほうを選んだというだけのこと。

人間ですからね、そりゃいろいろなことを考えますよ、もっと実入りのいい仕事はないものか、とかね。でも新しいことを始めるとなると、また一からやり直さなきゃいけないわけですよ。そのエネルギーだって大変なものです。

――先ほど、(取材中に)お客さまがお花とお菓子の差し入れを持ってきてくださいましたが、そういう常連のお客さまがいるというのは、やはりオーナーの人柄なのでは?

お客さまのご支援があったからこそ続けてこられたのは間違いありません。その支援を得るには私も何かそういう雰囲気を提供したのだとは思います。人間って鏡なんですよ。私がしょんぼりしていたらお客さまも暗い気分になるし、笑顔でゆったりとお迎えすれば、お客さまもゆっくりと楽しい時間を過ごせる。それがフリでもいいんです。お店に立ったら、どんなに疲れていても元気なフリをする、悲しいことがあっても楽しいフリをする、それは長年心がけてきました。

――そういう気持ちが、お客さまに支持され続けている最大の理由かもしれませんね。

根底にはあるでしょうね。それと力を抜くところは抜くということでしょうか。絶えず全力投球で緊張していたら持たないでしょう? 若い頃はがむしゃらに頑張ってきましたが、年齢を重ねるとともに力の抜き方を覚えてきました。

もちろん、今でも腕が落ちないように努力はしていますよ。だから、お酒を作る時は一切しゃべりません。話しかけてくるお客さまにも「ごめんなさい」といって、仕事に集中させてもらいます。だって、おいしくないお酒を出したら失礼でしょう。でも、それ以外の時間はお客さまとゆったりお話をするんです。今は仕事というより、お客さまとの会話が1日の中で一番楽しい時間になっています。

「“焦らない”これが私の信条。自分の性格や年齢に合ったスピードでいいんです

――緩急をつける。長く仕事をしていくには大切ですよね。

仕事の形を覚えるまでは必死で取り組まなくてはいけないですけどね。とはいっても、焦ってはいけません。私には若い頃に焦って失敗した苦い経験があるんです。それ以来、焦るまいと自分に言い聞かせてきました。人間ですから時には焦ってしまうこともあります。でも「世間から遅れてもいいんだ。人より1歩、2歩遅れても大した問題はない」と考えるようにしてきました。

――今のスピード社会で、自分のペースを守るというのはなかなか難しいことです。

それは周りを気にしすぎているからですよ。最近の話でいえば将棋の世界に若い逸材が現れたけど、そういう人を見て「同じ人間、同じ世代なんだから自分だって」、なんて思わないことです。自分は自分。そこで焦ったら壁にぶつかるだけですし、焦ったら乗り越えられる壁も乗り越えられなくなる。焦らず着実に自分のペースで頑張れば、いずれ壁を乗り越えることができるんです。

――そうやって一つずつ壁を乗り越えながら、58年の間、バッカスを経営されてきたんですね。

そうです。私の趣味は釣りですけど、釣りも同じ。上手な人をチラチラ見ながら真似してみてもうまくはいかない。でも、長くやっていくうちにそれなりの格好になってくるんです。形が身につく時間はそれぞれ違うし、それなりに格好がつくようになるには時間が必要。そんな気持ちでお酒やお客さまと向き合ってきたら、あっという間に58年が過ぎていました。

(取材・文:塚本佳子 編集:南澤悠佳/ノオト)

  • 飯塚徳治さん

    取材協力:飯塚徳治さん

    (いいづか・とくはる)さん

    1930年生まれ。1960年5月、30歳の時に「カクテルの店 バッカス」をオープン。開業58年を迎えた現在も、毎日カウンターに立ち、お客さまをもてなし続けている。

     

    カクテルの店 バッカス
     営業日:毎日(無休)
     営業時間:18時〜24時
     住所:東京都世田谷区若林3-19-6
    (東急世田谷線松蔭神社前、徒歩1分の線路沿い)

  • ライター:塚本佳子

    ジャンルを問わず、幅広い分野で執筆活動を行なっている。週末のみ自宅ショップ「Fika」店主。『著書は『小さくてかわいい家づくり』(新潮社)、『Fika』(Pヴァイン)などがある。

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